THE SOUL OF ZEZE  -瀬々敬久監督自選作品集- 対談

2010年8月10日~18日  アテネ・フランセ文化センターにて
『ヘヴンズ ストーリー』の公開を記念して瀬々監督自選による特集上映が開催され、
連日、多彩なゲストを招いて対談(鼎談)が行われました。その1部を採録して順次掲載します。 

入江悠 監督富田克也 監督真利子哲也 監督青山真治監督+安井豊氏井土紀州監督アレックス・ツァールテン氏 松本健一氏


8月10日 松本健一氏  (作家、評論家、歴史家) 


瀬々
 ぼく は、もともと井上幸治さんが「秩父事件」について書いた本が好きで、実際に秩父まで行って秩父困民党が密談をした千鹿谷鉱泉の宿に泊まったりもしました。 今日上映した『未亡人 喪服の悶え』 '93 (原題『現代群盗伝』) に出てくる借金党も困民党をモデルにしているのですが、この作品を撮影する直前に、古い友人から勧められて読んだのが松本さんの「秩父コミューン伝説 山影に消えた困民党」(河出書房新社)などの伝説シリーズでした。ずっとファンだったのでお会いできて光栄です。

松本 お話のなかに出てきた井上幸治さんとは、秩父のすぐそばにある熊谷高校の先輩後輩の間柄なんですよ。

瀬々 え、そうだったんですか。

松本  ええ。熊谷高校の近くには秩父事件の関係者が投獄されていた熊谷監獄があったり、友人たちと秩父まで夜祭りを見にいったりもしていたので、秩父という場所 にはもともと関心があったんですね。ですから、秩父困民党にかかわる一連の出来事は、「秩父暴動」や「秩父事件」という呼びかたで犯罪者扱いするのではな く、「コミューン」という自治政府をつくる運動として捉えなおすべきだとずっと思っていました。あと、ぼくが仕事をはじめた1969年は冷戦の只中だった ので、西か東か、アメリカかロシアか、右翼か左翼か、天皇かマルクスか、といったような二つの対立する立場のどちら側なのかを表明することが求められてい た時代なのですが、そういった安易な二項対立から抜けていきたいと思っていました。

瀬々  右か左かという話でいえば、ロケハンで秩父に行ったときに困民党の井上伝蔵の生家跡をうろうろしていたら、お婆さんに話しかけられたんですね。彼女は困民 党のような一見反逆者のひとたちも愛しているし、同時に天皇陛下も愛しているんです。それが秩父という場所で実際に感じたことですね。あと困民党には、 「会津の先生」(伊奈野文次郎)のような博徒やヤクザたちもたくさん参加しますよね。ロマンかもしれませんが、有象無象が繋がってひとつの力になるという ところにぼくはすごく惹かれたんです。

松本 秩父事 件で最後まで戦ったのは、田代栄助や伊奈野文次郎といった博徒やヤクザが多かったんです。日本の伝統的な蜂起でいえば国定忠治だって博徒ですね。かれら は農民に養われているため、農民が決起したときには共に戦うという義侠心があるのです。しかし正統的なマルクス主義者は、純粋な労働者つまりプロレタリ アート対ブルジョワという図式に固執するため、博徒を評価することに反発するんですね。しかし井上幸治さんは秩父のひとたちへの愛情があるので、博徒の田 代栄助が総理を務めたという正当な捉えかたをしている。さらには、安易な歴史の図式化によって抜け落ちてしまう「住民の土地への愛情」や「土地の風景」 を、秩父出身の彼はしっかり描いているんですね。

瀬々  ぼくがデビューした 1989年は、ベルリンの壁の崩壊や、天安門事件や、昭和天皇の崩御や、大きくいえば東西冷戦構造の終結などまさに時代が変わっていくときでした。だから ぼくも、新しい時代のなかでどのように生きていくかを作品のなかでずっと考えてきました。松本さんの本を読んだりお話を聞いていても、二項対立的な図式と は別のところから新しい可能性を探そうとしていますよね。

松本  困民党を書けば左翼だといわれ、北一輝のことを書けば右翼だといわれたのですが、重要なのは右か左かではなく、そこに革命的な情熱や日本人の「エートス」 (=心性)があるかどうかなんです。ですからわたしは、あいつはどのような立ち位置かよくわからない、といわれて69年のデビュー以降ずっと在野の物書き だったのです。大学教授になったのは、まさに89年だったんですね。

瀬々 そうでしたか。松本さんには是非お聞きしたいことがあったんですが、北一輝も石原莞爾も大川周明も宮沢賢治も、みんな法華経信者ですよね。かれらの革命思想と法華経はどのように結びつくのでしょうか?

松本  法華経あるいは日蓮宗は、ここに「正義」があり「わたしは美しい心を持っている」という考えなんですね。逆にいえば「正義を認めないやつは殺してもいい」 と いう考えにもなるので、魅力的でもあり危うい宗教なんです。これは鎌倉仏教特有の考えかたなんです。それ以前には平安仏教というものがあって、これは「み んな 悩みがあるんだからそれを救っていこう」という考えなんです。代表的なのは親鸞です。日本の革命家のおもしろいところは、北一輝にしても石原莞爾にして も、革命を志すときには、ほとんど自力本願の日蓮宗になる。しかし革命運動が挫折すると、挫折や転向を救う親鸞を信奉するんです。

瀬々  ぼくはこの映画(『未亡人 喪服の悶え』)を作った当時、すごく宮沢賢治に惹かれていたんですね。あと、当時はオウム真理教がありましたよね。ぼくはオウムの信者とは同世代なんで す。この事件について語るのはとても難しいですが――誤解を恐れず言うなら―シンパシーはすこしだけありました。ぼくが宮沢賢治に惹かれたことと、かれら にシンパシーを感じたことは、当時の時代性のなかで重なるものがあったと思うんです。

松本 オウムには、自分たちを認めない連中を殺す「ポア」というものがありましたね。彼らからしてみれば、正しさを認められない人間を殺すことで救ってやる、という論理ですから、宗教が社会の中に入って正しさを主張することの怖さがあります。

瀬々 …… そこいらの問題はずっと整理できずに来ているのですが……。話が変わりますが、さきほど話に出た「風景」についてです。ぼくの育った場所はリアス式海岸の 扇状地で農家も畑も狭いんですが、たとえば柳田國男の本とか読むと、そのまんまの感じなんですよ。国東半島なので秩父的な山があったりもして、そういうと ころで人々は暮しているのだ、という生活感的なところで秩父に惹かれたんだと思います。

松本  風景のなかで生まれ育ってそして死んでいくというのは、日本人の死生観にはいちばんぴったりくるものなんです。さらには、風景には正しさや悪というものは ないわけで、これが日本にイデオロギーが根付かない理由なんですね。マルクス主義などのイデオロギーはすべて頭の中の構造です。頭の中で作った構図だから 右か左かという考えかたになるんです。しかし風景は目の前で見て育ってきたものですから、親しみがあるかないかということだけなんですね。だから、風景を たくさん撮るとイデオロギー的な作品にならない(笑)。

瀬々 たしかにそうですね(笑)。イデオロギーの話だと、松本さんの最近の著作では「ネーション」=「国家」に対比するものとして「パトリオティズム」=「愛郷」ということを積極的に書いていますよね。

松本  近代の「国家」というものは「国家」にとって正しいか正しくないかを規定するんです。「国家」にとっての一つの言語、一つの通貨、一つの宗教を規定したほ うが「ネーション・ステート」= 「国民国家」を実現するうえで都合がいいからです。近代のひとびとはこれを目指してきた。なぜなら「国民国家」は国民の権利や利益を守ってくれるからで す。 たとえば、いまは中国が「国民国家」を目指しています。だから漢語を唯一の言語として、ウィグル語やチベット語は、極端ないいかたをすれば抹殺されるわけ です。すると、ウィグル語しか喋れない世代と、中国語しか喋れない子どもの世代の断絶が起こってしまう。「国民国家」は近代の理想ですがとても苛烈なんで す。しかし89年のベルリン壁の崩壊――西と東の境界がなくなり、「国民国家」の苛烈さが表面化する――を境に「国民国家」を超えようとする動き、たとえ ば秩父の農民は「日本人」であるけれど同時に「秩父の民」である、というような動きが世界中で噴出するんですね。

瀬々 たとえばサッカーのクラブチームとかは「シチズン」=「市民」が応援していますよね。世代間を超えて「市民」ということでみんながひとつになっている。

松本  クラブチームは「国家」に所属しているのではなく、「地域」や「郷土」に所属しているわけですからね。わたしは陸上が好きでよく見るのですが、92年のバ ルセロナ・オリンピックで有森裕子さんがマラソン走っているときに、街頭で振られていたのがスペイン国旗ではなく五輪の旗とバレンシアの旗だったんです よ。そこで 主張されているのは、「国家」ではなく「郷土」なんですね。「国家」の対決であるオリンピックでさえも、誇りとされるのは「郷土」になっているわけです。

瀬々 最近書かれた「日本のナショナリズム」(ちくま新書)で引用されていたロシアの革命詩人エセーニンの詩がとても印象的でした。

松本  天国を用意するのはマルクス主義であったり宗教(キリスト教)であったりするけれども、エセーニンは「天国はいらない。故郷が欲しい」と「自分たちが生 き、生まれ、死んでいく故郷(パトリ)。そこが人間にとっての最後の場所である」という考えかたなんですね。これこそが「パトリオティズム」です。繰り返 しになりますが、これが89年のベルリンの壁崩壊以降つまりイデオロギー対立の消滅後に世界中で顕著になっていった現象だと思います。

瀬々  今回の特集では、入江悠さんや富田克也さんといった若い監督たちをゲストで呼んでいるのですが、かれらはまさに自分たちが生きている場所で映画を作ってい ます。ぼくたちがいま映画を作っていても――いまを生きている人間は全員そうだと思うのですが――何が確かなものなのかよくわからない。映画をつくるとき はいつもそれを探していますし、映画の登場人物たちにもそうであって欲しいといつも思っています。

(採録:「シネ砦」集団)



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