THE SOUL OF ZEZE  -瀬々敬久監督自選作品集- 対談

2010年8月10日~18日  アテネ・フランセ文化センターにて
『ヘヴンズ ストーリー』の公開を記念して瀬々監督自選による特集上映が開催され、
連日、多彩なゲストを招いて対談(鼎談)が行われました。その1部を採録して順次掲載します。 

入江悠 監督富田克也 監督真利子哲也 監督青山真治監督+安井豊氏井土紀州監督アレックス・ツァールテン氏 松本健一氏


8月16日 アレックス・ツァールテン Alex Zahlten  (映画研究者、フランクフルト・ニッポン・コネクション前ディレクター) 


―― 本日は、今年まで「フランクフルト・ニッポン・コネクション」のディレクターを務めていらしたアレックス・ツァールテンさんにお越しいただいています。たくさんの日本映画を上映なさった方です。どうぞよろしくお願いします。

Alex 瀬々さんが1995年にウィーンの映画祭に招待されたときに、上映後の質疑応答で観客の女性からひどく批判されたという話を聞きました。海外の映画祭は初めてだったのでしょうか?

瀬々 ロッテルダム国際映画祭でピンク映画四天王の特集上映があったときが初めなのですが、その後でウィーンでも同じプログラムが組まれたんです。

Alex 外国で批判されたことにはどのような印象をもちました?

瀬々 ウィーンで上映されたのは『猥褻暴走集団 獣』 '91(原題『ノーマンズ・ランド』)と『高級ソープテクニック4 悶絶秘戯』 '94(原題『迦楼羅の夢』)でした。

Alex 『高級ソープテクニック4 悶絶秘戯』は『Dream of Garuda』のことですよね。

瀬々  そうです。『Dream of Garuda』は、団地の主婦をレイプした廃品回収業の男が数年して刑務所から出所したのちに、かつて自分がレイプした主婦とソープランドで再会するんで す。男は精神的に弱っているんですが、ソープ嬢になった主婦に身体を洗われることで“再生”するんですね。これは柳田國男の「妹の力」を読んで考えたお話 です。古来から日本の女性には「妹の力」というものがあり、洗い清めることで男を蘇らせるという信仰がありまして、それにもろに影響されて作ったのが 『Dream of Garuda』だったわけです。ただ、あくまで主人公たちの出会いはレイプなわけですから、「女性が自分をレイプした男を助ける理由がわからない。この映 画が上映されている間にもレイプされている女性がいる現実をあなたはどう思っているんだ?」とかなり激しい口調で批判されました。ぼくは弁が立たないので うまく説明できずにいたのですが、その時、通訳だったローランド・ドメニクさんが、あいだに入ってくれて、日本と欧州の宗教感の違いということでその場は 一旦収まったんです。しかし、それから少しして、映画祭後に同じピンク映画特集を上映する予定だったミニシアターの代表の女性が来て「この作品は上映でき ない」と。それで近くのカフェで朝の4時頃まで話しあって、彼女も一応は作品の意図については納得してくれたのですが、やはり女性としてこの作品を上映す ることはできないということで、最後はぼくが折れるかたちで上映は中止になりました。

Alex  当時の欧州では、ピンク映画というジャンル自体がまったく馴染みのないものでしたからね。ぼくもニッポン・コネクションでピンク映画を上映する際は、事前 にどこまで説明すればいいのか悩みました。普通の映画として、そして作家の映画として見てほしいのはもちろんあるのですが、同時にピンク映画というジャン ルについての説明がどうしても必要になります。かといって、過剰な説明は見方を限定してしまいますからね。近年では様々な国でピンク映画が上映される機会 も増えてきていますが、瀬々さんはどのようにプレゼンしているのですか?

瀬々 日本独自のジャンルであり、セックスを扱いながらもそのなかに作家のメッセージが込められているんだということは言うんだけど……まあ、難しいですね。

Alex  ぼくらの場合、「ニッポン・コネクション」という性質上、映画によって、日本の文化について勉強するために来る観客がとても多かったんですね。特に最初の 頃は。だから、作品の選択に幅をもたせて日本についてのイメージを限定させないようにしていますし、質疑応答でもなるべく映画の内容や作家についての話を しようとするんですけど、どうしても観客の関心は文化や風俗に向いてしまいがちでした。ウィーンでの『Dream of Garuda』の一件も、作品の狙いとは別のところで誤解を受けてしまったケースですよね。海外の映画祭で、観客の反応は他にはどのようなものがあったの でしょうか?

瀬々 国や映画祭によって全然ちがいま すね。たとえばウィーンは落ち着いた雰囲気で客層もアダルトなんだけど、逆にロッテルダムは若いひとが多くて新しいものを見たがっているという感じがする し、イタリアだとおっちゃんが眼をギラギラさせながらエロいシーンを見ていたり(笑)。で、映画祭に参加したときは、いろんな国のひとたちが初めてピンク 映画を見るのと同じように、ぼくも南米や中東なんかの作品を前情報なしで見るんですよ。すると、なかにはめちゃくちゃ奇妙な作品があってすごく動揺させら れることがあるんですが、ぼくにとっては、納得とか理解よりも、とんでもないものを見たという、そっちのほうが重要なことなんですよ。だから、ピンク映画 もそういう視点で見て欲しいわけです。

Alex  それはわたしも賛成で、「混乱」がいちばん重要なことだと思います。瀬々さんはピンク映画時代から、ご自身の作品のなかに、物語における「混乱」を意図的 にとりいれていましたよね。これはピンク映画のいわゆる普通の観客からすればイレギュラーな作りだったと思うのですが、そこを楽しんでくれるような理想的 な観客というのは想定していたんですか?

瀬々 ぼく は、高橋判明さんやユニット5(周防正行、磯村一路、福岡芳穂、水谷俊之、米田 彰)、その上の世代だと若松孝二さんなどの作品が好きでピンク映画をやろうと思ったんですよ。「ピンク映画」とひと言でいっても作風はすごく多様だし、観 客にもいろんなひとがいて、ぼくもそのなかのひとりだったわけです。だからぼくは、かつての自分が好きだった映画を目指していたし、かつての自分のような 観客にむけてのプレゼントを作りたかったんです。

Alex  そのスタンスは、初めての一般向けの商業作品である『KOKKURI こっくりさん』 '97 を作ったときから変化はあったのでしょうか?

瀬々  変化はありましたよ。まずはプロデューサーを納得させるという側面が大きくなりました。観客は、必然的にプロデューサーの背後に待機することになるわけで す。プロデューサーとは毎度のようにケンカもしますが、かれらが満足できる作品に仕上げるということは、監督業を生業としていくうえで、つまり他人と仕事 をしていくうえでとても大切なことだと思っています。そういう意味ではいったい何を指して「一般の観客」と呼ぶのかはわからないですよね。

Alex  たしかにそうですね。さきほどニッポン・コネクションの話をしたときに観客の興味が文化や風俗へ向かいがちだと言いましたが、近年では、欧州の研究者によ るピンク映画の研究が進んだことや、「ピンク七福神」(今岡信治・上野俊哉・榎本敏郎・鎌田義孝・坂本礼・田尻裕司・女池充)と呼ばれる若手監督の作品が 紹介されるようになったこともあり、作品の内容や形式へと意識が向かうようになっています。この変化は「映画」の外側が失われて閉じてしまったともいえま すし、いい部分も悪い部分も両方あるとは思いますが、すくなくとも観客は、彼らが想像している
  「日本らしさ」より「面白い映画」を求めるよう になったのを実感しました。話は変わりますが、『へヴンズ ストーリー』 '10 は物語の構成がしっかり練られているのと同時に、登場人物たちがとてもいきいきしていたと思います。瀬々さんはご自身の作品だけでなく、他の監督の脚本も 多数書いていますが、脚本を書くときはどのようなことを心がけているのでしょうか?

瀬々  助監督時代から脚本はたくさん書いていました。どんなタイプの作品もそうですが、<器>=構造が明快だとすいすい書けますね。逆に<器>が見つからないと 苦しみます。たとえば今日上映した『DOG STAR ドッグ・スター』 '02 は、犬が人間になって、それを宇宙から見ている視点にしようとすぐに閃いたので脚本もスムーズにできました。だからまずは<器>を考えるのですが、同時に 登場人物がパズルの駒になりすぎないように気をつけています。ただ、最も重要なのは、脚本を壊すような撮影ですね。撮影が脚本の穴埋め作業になってしまう と脚本を壊せないし、登場人物も死んでしまいます。『へヴンズ ストーリー』は時間をかけてどんどん脚本を変えていって、登場人物たちと一緒にぼくらも成長していくような撮影を目指しました。それが“いきいきした感 じ”に繋がったのだと思います。

Alex  なるほど。『へヴンズ ストーリー』はどのジャンルにも収まらない作品ですし、他の瀬々さんの作品もジャンルの枠を壊すようなものが多いですよね。あと、ぼくが登場人物がいきい きしていたと言ったのは、瀬々さんの作品は、犬と人間、幽霊と人間、あるいは人間が動物のような行動をとっていたりして、「人間」が曖昧な存在として描か れることが多いと思ったからです。

瀬々 それは、人 間も、動物も、植物も、すべてが並列な存在として同じ手のひらの上にあるようなイメージが常にあるからです。ソクーロフの映画とか見ているとそういう瞬間 があるように思うのですが。今日ここに来るときも電車のなかで、あと数年したらぼくも死ぬのかなあ、とかふと考えたりしましたね……すいません、こんなこ と言って(笑)。まあ、ようするに、いまこの瞬間ここにいたとしても、その存在は一律ではなくすべてが交換可能である。そのような在りようにずっと興味が あっていろんなジャンルの作品でずっと描いてきたんですよ……まあ、こういうことを言うと、外国のひとからは「理解できない」ってよく言われるんだよな あ!(笑)

(採録:「シネ砦」集団)



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